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老人大国・高齢者対策・シルバーケア・老後の備え・余生の生き方、いま日本で深刻なテーマとしてとらえられている言葉である。そして、ここにいう高齢者が原因となって、税が減る上に年金と医療保険が破綻すると言う。だからこそ対策が必要であり、ケアや備えをしなくてはならず、生き方までおせっかいをしなければいけないと言うのである。
一体老人とは何歳からか。定年の基準とは何なのか。
六十歳を境に、人生の景色が一気に変わるという社会的通念は何故にこうも固まってしまったのか。皮肉か冗談か、世は、銀色(シルバーエイジ)だ等とのたまい、我が心を益々灰色にするのである。解決の方法はただ一つ、若返るべきである。
否、自らがすでに若いということを改めて知るべきである。
平均寿命世界一の日本、昔の人生五十年の時代の六十ではない。寿命が三十年も延びたら、年齢もせめてその半分(十五年)差し引くべきだ。その証に腰の曲がった六十歳は皆無に等しいではないか。
自らの若さに気付き、自らのあるべき人生を歩むべきだ。四十代の体力を持つ我々には対策もケアも生きかたの押し付けも必要ない。
健康で元気に生活を楽しむわれわれの前に、老人大国化への悩みも、医療費の破綻もたちどころに解消する。
ただし年金だけは自分で積み上げたもの、これだけはしっかりともらいたい。これからは身体を鍛え、海に、山に、森に遊び、自然に従事する新しい仕事を覚え、今までより一ランク上の生活を楽しむのだ。
そしてもう一度稼ぎ直し、子孫と国家の為にもあと一財産をつくらねば。
これは何も金の面だけとは限らない。
「心を社会通念の僕」と為したまま、あの世に行かされてはたまらない。
一千六百年の時空を越えて陶淵明「帰去来の辞」が我が血肉となって踊りだす。
我々が昔の六十歳になるには、少なくともあと二十年はかかる。
その間はおもいっきり遊ぶのである。
サミュエル・ウルマンは詠った。「青春とは心の若さを指す。」 否、肉体の若さをも指すのである。
集え、若人! 日本全国・中齢者の仲間たち。